ジュマンジ~ネクストレベル~
どうも今日は、ゴリラです。
今回はジュマンジの続編です。舞台は前回のジュマンジから二年後で彼らも高校生から大学生となりそれぞれの道へと進んでいます。しかし充実した生活を送るフリッグ、ベサニー、マーサと違い、スペンサーはいまいちパッとしません。仲間達と離れたニューヨークでの生活は彼の気分を充実させてはくれませんでした。
NYから実家に帰ると、股関節の手術で一人暮らしのアパートからしばらくスペンサーの実家に住むことになった祖父のエディがいました。若い者には負けないと言わんばかりですが年には勝てないと言ったところ。ある日エディの元にマイロなる人物が訪ねてきます。15年前に袂を分かった元友人です。
そしてその日、マーサ達は喫茶店(ダイナー)で集まりました。皆地元に戻ったのだから久しぶりに会おうと言うことで。
しかし、スペンサーの姿はありません。
実家に戻ってはいるだろうと言うことで、マーサ達は彼の家を訪ねます。しかし家にいたのはエディとマイロだけで、スペンサーの姿は見えませんでした。部屋にもおらず、家の中をくまなく探し回っていたところ地下室であの機械を発見してしまいます。
そう、「ジュマンジ」を
前回のラストでジュマンジのゲーム機は破壊したはずでした。しかしジュマンジはそこにありました。バラバラになったのを継ぎ合わせた感じで。誰が修理したのか?スペンサーでしょう。一体何のために?それは分かりません。しかし一つだけ言えるのは、スペンサーは間違いなくジュマンジの中におり、そして一人でステージを攻略していると言うことだけです。
あの音が聞こえます。狂乱のゲームの音です。前回は4(5)人でやっとの思いでクリアしたのです。しかし今スペンサーは一人。仲間の助けが必要です。そして彼らはコントローラーを握ります。ジュマンジに入り、スペンサーを助けるために。
緑の光が彼らを包みます。ジュマンジへと吸い込まれるときに発せられる光です。しかし前回とは明らかに違う所があります。
そう、彼らはまだキャラクターを選択していないのです。
また彼らの冒険は幕を上げます。前回と同じジュマンジで、前回とは違う展開で。そして前回以上の人数で。
今作のジュマンジは前作以上に派手です。スピード感も上がっており、まるでジェットコースターの様な感覚でステージが進んでいきます。
更に言えば今作では人間関係におけるドラマが良い感じに挟まっており、爽快感と共に感動も演出しています。実際結構うるっと来ました。
各キャラクターは相も変わらず良い味出してます。今回は中身が入れ替わるので、外見は同じでもまた違った性格で私たちを楽しませてくれます。
特にシェリ-・オベロン教授(地図の人)は3回も中身が変わるので必見と言っても良いでしょう。フリッグ、マーサ、ベサニーが入れ替わるので吹き替えでの演技の使い分けが見事です。さすが高木渉さんです。
ブレイブストーン博士(ドウェイン・ジョンソン)の活躍も健在です。やはりロック様が出るとあらば強烈なアクションシーンはあってしかるべし。前回以上のパワーで敵を殴り散らしていきます。
勿論フェロモンもダダ漏れ。
ネクストレベルの名に恥じないパワーアップでアクション映画が好きな人なら喜んで見ることが出来ると思います。爽快で切れも良く後味スッキリ。エンターテイメントとして完成度が高い作品だと私は思います。取り敢えずで見て全く問題無い面白い作品だと言えるでしょう。
取り返すのは無上の宝 相手は手強い非情の輩
ゴールするにはこの世を救い 叫べよその名を
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CATS(キャッツ)
どうも今日は、ゴリラです。
今回書くのはあの「キャッツ」です。ミュージカルの方は凄まじい人気を博しており、今回映画になると言うことで話題性も抜群でした。
しかし蓋を開けてみれば
幸か不幸か話題性という意味ではずば抜けた作品になったと言って良いでしょう。ただし聞こえる評価はとてもじゃありませんが好意的とは言えませんでした。
「0~5点で評価するとしたら、タマネギかな」
「私は猫好きでは無かったが、映画を見た後映画好きかどうかも分からなくなった」
「猫にとって、犬登場以来最悪の出来事」
等逆に語彙の限界に挑戦したかのような批評の嵐に一周回って興味が出てきてしまう始末。しかし、キャッツは本当に猫にとって犬登場以来の最悪の出来事と言える映画であったのか?本当にタマネギレベルの映画であったのか?映画好きの脳にダイレクトアタックをかけてくるような映画だったのか?
評価をするには見なければ話になりません。それに私はミュージカルのキャッツを見たことがありません。これをして「本当のキャッツも知らない輩があんな映画を見てキャッツを知った気になられては困る」等と言われても、それはまぁ仕方の無いことだとは思います。ミュージカルのキャッツは本当に素晴らしい作品であるみたいですし?
比較されてしまうのは正直仕方の無いことなのかもしれません。しかし、映画がそこそこ妥当な作りをしていたにも関わらずミュージカルと比べられての評価だとしたら同情の余地もまだ見る価値も残されていると思うのです。批評家達は誇張してものを言いがちでは無いでしょうか?そしてそれに乗せられて批評大喜利に乗っかってしまっているのでは無いか?
本当に見てから悪口言っていますか?
と思って見てみたわけです。そして思った訳です。「批評家達が批評大喜利始める気持ちもまぁそこそこ分かる」と。
良いところも沢山あるんですよこの映画。具体的には歌と踊り。そりゃまぁミュージカルシーンは本家に則って作られているんですからそりゃ当たり前なんですけどね。キャストも豪華だしCGも金かかってるだろうしで文句なしの出来映えなんですよ。
正直そこだけを評価してみろと言ったらそこまで辛口な評価にはならないと思うんですよね。じゃぁ問題は何だったかというとですね。
キャラクター達の外観
これにつきたと思うんですよね。良くも悪くも艶めかしすぎたというか、妙にエロい猫の擬人化というか。何というか、リアルに融合させすぎたという感じです。
良いところも際立っていますが、悪いところと言うか気持ち悪い所も際立っています。これは多分見ないと分からない部類のものでしょうがとにかく得も言われぬ気持ち悪さがあります。いや、綺麗なんですよ?CGもそうですし歌と踊りも見事なものです。キャラクターもそれぞれが個性的でとても魅力的と言ってもいいです。
でも何か何処かがひっかかるんですよ。
まぁストーリーについてはこの手の作品はオリジナリティにあふれすぎてて説明しにくいので触れません。後胸を張って人に勧めにくいです。正直言って。ただやっぱりミュージカル部分はとても素晴らしいと思うので、是非とは言えませんが興味が湧いたら見てみるのもいいかなぁとは思います。
あ、ケモの人には良いかもしれません。
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ジュマンジ
どうも今日は、ゴリラです。この時期は寒いんですが、雨が降ると一時的に気温が上がるのか室内が暑く感じます。でもだからといって室温を下げると翌朝寒かったりして難しいところです。
今回書くのは「ジュマンジ~ウェルカムトゥジャングル~」です!
昔のジュマンジは人を引き込むのにボードゲームのカタチをとっていました。そしてあの音と共に狂乱のゲームを巻き起こすのですが、今回のジュマンジはテレビゲームのカタチとなって装いも新たに登場します。
以前のジュマンジならば止まったコマに応じたイベントが現実世界で巻き起こっていましたが、今回は犠牲者(チャレンジャー)をゲームの中に引きずり込むので全てはジュマンジの世界の中で巻き起こることになります。
つまりそれは巻き起こるイベントにある意味では制限が無いと言うことでありますが、さすがにそこまで無茶をしてくるわけではありません。基本的にはアドベンチャーゲームの体で進行していくので、彼らは割り振られた役割に応じたスキル等を駆使してジュマンジを攻略していくことになります。
挑戦者は以下の四人
・スペンサー
ゲームオタクでいかにも奥手な少年です。背も高いわけでは無くオドオドしているので友人?のフリッジには完全に馬鹿にされています。ジュマンジの中ではブレイブストーン博士という人物(ドウェイン・ジョンソン)になり、活躍していきます。ロック様になれたと言うことはどういうことか。改めて説明するまでも無いことですよね?
・フリッジ
筋肉を鍛えるのが大好きなアメフト部員であまり賢いとは言えません。背も高く筋骨隆々な彼が与えられた役はフィンバー。彼は動物学者であらゆる動物の知識がありますが、如何せん背が低い。まぁ背が低いことそれ自体は問題ないのでしょうが、問題はフィンバーになってしまったのがマッチョ志向のフリッジだと言うことです。
因みに彼はケーキを食べると爆発します。
・ベサニー
現実世界の方ではSNSに自撮りを乗せるのが大好きな女の子ですが、ジュマンジの中ではそうもいきませんでした。彼女はシェリー・オベロンなる人物になるのですが、このシェリーはシェルドンという男性の愛称だったのです。つまり彼女はジュマンジの中では「彼」になってしまいます。しかも中年で小太りな。この年頃の女の子が蛇蝎のごとく嫌うと言ってもあながち間違いでは無いでしょう存在に。
しかしこの小太りの中年はマッピングのスキルを持っています。彼女の望むのと望まざるのとに関わらず、ジュマンジというゲームの中ではそれなりに重要なポストと言えるでしょう。
・マーサ
今作のヒロインです。そういう意味ではベサニーは本当に運が悪かったと言えるかもしれません。しかしフリッジがブレイブストーンになり、ベサニーがルビー・ラウンドハウスになっていたところで始まるのはジョックとクイーンビーの正直あまり見たくない感じの映画になるでしょうし、多分生還できていなかったでしょう。
マーサが扮するのはルビー・ラウンドハウス。美人です。彼女はダンスと格闘技を組み合わせた舞闘術を使って戦うことが出来ます。その上美人です。
この四人は足並みも揃わず、仲も良くは無いため危機を脱するのに苦労を伴います。しかし冒険を進めていく中で少しづつではありますが仲間意識が芽生えていきます。
そうでなくとも彼らにはライフ制限の縛りがあり、3回やられるとゲームオーバーです。つまり現実的な死が彼らを待ち受けるのです。団結はクリアの為の最低条件といえるでしょう。
性格やスタンスが全く違う、相容れないような4人が織りなす凸凹ストーリーは次第に滑らかな曲線を描いていきます。そして仲間となった4人は恐怖を勇気で乗り越えて現実世界へと帰還を果たすのです。プラス1の希望を携えて。
ドウェイン・ジョンソンが中身オタクの根暗ボーイという事でかなりのギャップが生まれるこの作品。吹き替え版の言葉のチョイスも秀逸なので是非見てみてはいかがでしょうか?
宝石返して解こうよ呪い ゴールするにはこの世を救い 叫べよその名を
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シャザム!
今日は、ゴリラです。今回は映画「シャザム!」ついて書いていこうと思います
まずこのシャザム!なんですが、アメコミヒーローの中でもDCヒーローに分類されます。アメコミの有名どころといったらマーベルかDCあたり何ですが、正直言ってDCヒーローっていまいちパッとしないというか。完全に偏見なんですがマーベル程盛り上がらない気がしています。
とは言え新作スーパーマン(これについては後日改めて書きたいのでここで言及はしません)や彼らを起用した「ジャスティス・リーグ」、海外ドラマ版ですがフラッシュも個人的には評価が高いのでやっぱりこれは偏見でしょうね。
さて、シャザム!。この物語の主人公「ビリー・バットソン」少年(14)は孤児です。吹き替え版では緒方恵美さんが声を当てているので違う方の14歳の少年を思い浮かべがちですが、周りに碌な大人がいなかった方と違い、こちらビリー君の周囲にいる大人、特にビリー君を引き取った夫婦は凄くいい人達です。
しかしこのビリー少年、実は素行がすこぶる悪い。それは何故かと言いますと、孤児と最初に言いましたが実は彼のお母さんは生きているんです。幼い頃に人混みの中ではぐれてしまい、その後警察に保護された後に里親の元に預けられたんですね。
でもビリー少年は実の母親が生きて何処かにいることを知っているんです。
なので里親と言われても赤の他人にしか感じず、脱走を繰り返し、そして本当の母親を探し続けているというわけです。
新しい里親の元に預けられたビリー少年、里親とも同じく引き取られて生活している他の子供達とも打ち解けようとしません。
そして、ひょんな事から彼はある力を手に入れてしまいます。
それが「シャザム!」。魔法の言葉です。
この力を手に入れる際、彼は夢?の中の老人(吹き替え・杉田智和)にやれ正しい心がどうだのこうだの言われましたが、そもそも夢の中の出来事だと思っています。なので不意にシャザムと口にした瞬間彼は恐ろしく混乱することになるのです。
アメコミヒーローと言うとその人自身に全身タイツをオンしたような姿(キャプテン・アメリカやスパイダーマン、デッドプールもそうですね。全員マーベルヒーローですけど)がフォーマルな姿だと我々は認識していると思います。そしてそれはあながち間違ってはいないのですが彼の場合は少し違いました。
シャザムと口にした瞬間、可愛い系の顔面を持ったビリー・バットソン少年は文字通り変身します。胸に稲妻のマークの入った赤い全身タイツ。白いマント。そして筋骨隆々のナイスガイ。
?!
そう、かれの場合は中身は変わっていませんが外見がまるっきり変わってしまったのです。顔だけ見ると14歳の少年から30代のオッサンに変身しています。
やたらナイスガイ(ザッカリー・リーヴァイ)ですけど。
最初は混乱したビリー少年ですが、なれてくるとシャザム!のスーパーパワーを検証しだし、YouTubeに動画を投稿し出したりします。ここら辺が現代ナイズと言うか、思春期の今時の子供(これは子供に限らないかもしれません。私だってある日突然空を飛べるようになったらその動画を投稿するでしょうから)な感じがします。
この様に途中まではビリー少年とその境遇、そして少しばかりの家の子達との邂逅を挟んでいきます。しかしヒーローものの映画である以上悪役の存在(マーベルだとヴィラン、DCだとメタ・ヒューマンと呼ばれたりします)は欠かせません。当然シャザム!にも悪役は存在します。その名もドクター・シヴァナ。
彼は子供の頃にシャザム!になれなかった人です。
何故か夢の中か一時的に攫ってくるのか知りませんが、シャザム!の力を授ける老人は口頭で相手に資格の有無とその選定の合否を告げてきます。夢と言うことにして黙って帰せば良いのに。しかもそれを全世界でアットランダムにやるものだから足がついてドクター・シヴァナに場所がばれます。ついでに行き方も。
そうしてなんだかんだで悪の力を手に入れたドクター・シヴァナは、今度は自分を封印しうる力を持つシャザムを探し始めます。何故か?それはシヴァナの手に入れた悪の力は過去のシャザムが封印していた七つの大罪、その化身達だからです。けれど探すのは簡単でした。だってビリー少年はYouTubeに動画を投稿してるから。
正義と悪は戦う定めです。勿論シャザムもドクター・シヴァナと戦います。正義のためだけで無く、彼には彼の戦う理由が出来るからです。それは、以前はなじめなかった、そして今は確信できる家族の為です。
この映画は他のシリアス調なアメコミヒーロー物と違い(テーマは真面目ですが)遙かに軽いテンポで進んでいきます。そしてそれがそのままシャザムの魅力でもあるわけです。
ノリの軽さで言えばアメイジング・スパイダーマンのピーター・パーカーに近い物があります。彼だって背負うものは重いですが、悲壮感を感じさせない軽いノリが魅力ですから。
新鮮な軽いテンポで進む「シャザム!」、一見の価値がある映画だと言えるでしょう
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オデッセイ(原題・火星の人)
どうも初めまして、ゴリラです。
自分の好きなものを書き連ねるだけのブログになると思いますが、読んで頂けたら幸いです。
今回は初めてと言うこともあって少し悩みました。
私は映画を観るのが好きです、だからそのことも含めてブログを書こうと思ったんです。でもどうせ書くなら多くの人に見て貰いたいと思うのも人情でして、あまりにもニッチでマニアックなものを初回に持ってくるのはどうなのだろうと思って今回オデッセイを選択しました。
この選択は間違っていないはずです。だって面白いから。
主人公はマット・デイモン演じる植物学者にして宇宙飛行士の「マーク・ワトニー」。彼はミッションスペシャリスト(各分野のエキスパートが訓練を受けて目的、この場合は火星の調査の為に赴任するもの。)として仲間と共に火星に赴き調査を進めるが、予期しない大嵐の発生で調査は中止。急遽脱出船で宇宙船へと戻ることになるのだが、そこで事故が起こりマーク・ワトニーだけが火星に一人取り残されてしまう。
というものです。
そこからワトニーはなんとかしてNASAと連絡を取れるように試みたり(現地に残された施設には水や空気、当座の食料などはあったがこれらは勿論いずれ底をつく。その為自分の生存報告と救出プランを練って貰うためにもNASAと連絡を取れるようにすることは最重要課題だった。)、生きていくために水や食料をどうにかしないといけなかった。
NASAとはどうにか連絡が取れるようになり、食料も何とか自前で供給出来るようになります。
尚、火星の環境では作物が育ちません。それは何故かというと
・薄すぎる大気
火星の大気は地球の0.6%の密度です。地面があるだけで状況としては宇宙空間にいるのとさして変わらないと言うことです。朝も夜もあるので時間の認識はしやすいですが、如何せんそれ以外の所が地球と比べて遙かに過酷なのです。
・地磁気が無い
火星には地球にあるような地磁気がありません。地磁気とは、惑星そのものが発している磁気で、これがあることによって強烈な太陽風や宇宙線から守られます。地磁気は地表に住む生命体にとって無くてはならない強力なシールドなのです。
地磁気が無いという所に全ての端が発しているのですが、そのせいで火星には水も無ければ空気も無い。なので当然生命体の影も形も無く、土の中にバクテリアが存在すると言うことも無いわけです。
地球に近く形も似ていることからよく物語などでは人類の一番近い移住先の様に描かれますが、火星は現実的には人の住むのにまるで適さない惑星なのです。
しかしそれらを受け入れてしまうとマーク・ワトニーに残されるものはハブ(火星調査の為に作られた小規模な建造物。一定期間居住するための空気と水の供給が可能になっている。が、当然マーク・ワトニーが火星から脱出するために必要な期間にはまるで足りない。)に残された物資を食い潰して緩やかに迎える死だけになります。
マーク・ワトニーはこれらの課題を順次こなしながら、火星脱出の計画を練りつつ生き延びていくのです。
作中で最も驚くべきなのはマーク・ワトニーのモチベーションの高さです。
そりゃまぁ諦めたら死ぬのを待つだけなのでモチベーションを高く維持するのは大事なことでしょう。しかしこのマーク・ワトニーと言う男、危機的状況にありながらまるで悲壮感が無いのです。
それどころか逆にこの状況を楽しんでいるんじゃ無いかとさえ思える節があります。それぐらいの人物的パワーが無ければとてもじゃないけど一人残された火星から脱出なんて出来ないんでしょうけど、それにしたって明るい。
飄々と生き抜くための行動を孤独にこなしていくマーク・ワトニーは英雄的でも悲劇的でも無く、ただ日常生活を送っているようにも見えます。
しかしだからこそ、極限状態で冷静でいることが如何に大切なのかが分かるような気もします。劇中のマーク・ワトニーの状態はともかく、平静を失えばすぐそこに死が待ち受けているのが火星なのだろうからです。
結論から言えば、マーク・ワトニーは火星からの脱出を成功させます。勿論それは彼一人の力だけでは無く、彼の仲間を含めたNASAの面々や本当に多くの人たちの尽力があればこそです。
カテゴリーこそSFですが、今までありそうで無かった一つの作品としてこの映画は本当に面白いと言えます。
余談ですがオデッセイは原題を火星の人といい、小説版が先にあります。
小説から映画に起こすのに際して、マーク・ワトニーの行動の多くが削除されている点は否めないでしょう(最も、だからといってこの映画の素晴らしさが損なわれているとは一切思えませんが)。心の中で思った事は表に出しづらいので映画ではなしになるのは当然と言えば当然なのですが、それにしたってマーク・ワトニーはよく喋ります。
私としては是非この小説版もお読み頂きたいところです。通常であれば小説を読んでから映画を見るように薦めるべきなのでしょうが、オデッセイではむしろ逆。映画を見てから小説を読んだ方がより楽しめると思うのです。
それは何故か?
それはビジュアルが映画を見ることによって良い意味で固定化され、シーンを想像しやすくなると思うからです。そうすれば細かい部分も補完しやすくなり、よりマーク・ワトニーとの一体感が生まれると思うのです。
小説版も含め、オデッセイは何回も見ました。そのくらいお気に入りの映画です。見た人は多いでしょうが、もしこれを見てまだオデッセイを見たことが無く、そして少しでもオデッセイに興味が湧いたのならば、是非見てみてください。
SFとかサバイバルも勿論素敵な要素ですが、見ればマーク・ワトニーが好きになること間違いなしですから。
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